子連れミニマリストの幸福論

子連れミニマリスト

いつも元気で、歳を重ねるにつれ、若干こどもっぽくも見えてきた母親が、突然亡くなりました。

2週間前に68歳の誕生日を迎えたばっかりでした。

昨夜、病院に救急搬送されて、一夜も開けず急に亡くなりました。

実の姉から連絡をもらったのは早朝5時のことでした。

不思議なことに、母親が亡くなる時間に私はとても幸せな夢を見ていました。

まさに母親と家族と再会する夢でした。

日差しのいい初夏の日、緑いっぱいの庭園

そこで家族みんなが集まってました。

何を食べようかな、これにしようかなと言いながら、みんなで食卓の準備をしていました。

特段何かを話していたわけではありません。

他愛のない話をしながら、みんなで笑い合いながら食卓の準備をする。

時間はゆったり流れ、いや、そこで止まっていたかのように感じました。

なにかに追われることもなく、焦ることもなく、ただただ家族で笑顔で食事の準備をする。

それだけでした。

でも、今までの人生で一番穏やかで幸せに感じたのはなんででしょうか。

あ〜これが私にとっての幸せか。

コロナ終わったら、またみんなで集まりたいよなぁ〜

と思って目を覚ましたら、まさかの母親の訃報でした。

未だに信じられません。

明日携帯見たら、「おはよう、ビビ、キキ(笑いマーク)」と、いつものように母親からメッセージが届きそうでした。

そういえば、コロナが終わったら来年6月に家族で集まる約束していました。

また会いたいよ、みんなに会いたいよ。

死ぬ間際、母のその切ない思いが、私の夢の中に現れたでしょう。

母親はいつも待っていました。

こどもが幼い時は、自分でできるようになるまで待つ。

おとなになったら、仕事が終わるのを待つ、都合をつけて会ってくれるのを待つ。

親とはそういうものだと思っていました。大人になるって、そういうことだと思っていました。

仕事だから、みんながそうしているから、仕方ないじゃんと、ついつい自己防衛したくなっちゃいました。

でも、親はいつまでも待てるわけではありません。

もっと時間作って、会いに行くべきだった。

くだらない職場関係を気にせず、もっと休みとって会いに行くべきだった。

気づいた時は、すでに遅し。

職場に縛られて仕事している貴方はいま、幸せですか?

私の答えはノーでした。

そして、母親が亡くなった当日、未練もなく、6年努めた職場を退職してきました。

母親が気づかせてくれた本当の幸せに、もっと早く気づくべきでした。

もちろん、会社を辞めれば幸せになれる、というつもりは全くありません。

何が幸せかは、人それぞれです。

ただ、このブログが、貴方の本当の幸せに気づく、一つのきっかけになれることを願うばっかりです。

コメント

タイトルとURLをコピーしました